アスタリスク〜小さな星〜

2015年2月13日、22歳の息子を亡くしました。
死因はOD、孤独死でした。
見つかったのが誕生日の次の日の22日。
2月21日に23歳になる予定でした。
誕生日には亡くなっていて、親として最悪な最期を迎えさせてしまい、毎日自分を責める日々です。

眠れない。

毎晩考える。


息子の死を。


生と死の意味を。


私は知性もないし、科学的な事もわからない。


でも、毎晩考える。


どうして?って。


色々なことのどうして。


何故?


色々なことの何故。


頭がこんがらがってくる。


そして朝方まで考えて、毎回結論が出ないまま眠りに落ちる。


逝ってしまった者。


残された者。残され生かされてる意味は何?

無題。

毎回タイトルを考えるのが面倒くさい。


今日は特に面倒くさい。


何もする気が起きなくて、一日中ゴロゴロしてた。


生きてる事すら面倒くさい。


あ、職場にシフト表を提出するのだけど、


『気づいたこと』みたいな書く欄があったので『アルバイトの人が挨拶しません。気分が悪いです。』と書いてみた。


もう私から挨拶するのはやめた。


上司にはするけど。


今の仕事は黙々と出来るから、特に愛想を振りまく必要もないし。


やるべき事をやればいい。


季節の変わり目、またまたまたまた


落ちてきた私。


皆様も体調に気をつけて。


吐き出せるなら吐き出してしまいましょう。

一日遅い月命日。

今日は仕事だった。


何だか家に帰りたくなくて寄り道してたら


家に着いたのが23時だった。


で、いろいろしてたら月命日が過ぎてた。


月命日に特別な事をする人もいていいと思う。


私は特に何もしないけど、毎日思ってるからそれでいいかな。


昨日ネットで死後の世界はある?ない?

という記事?を読んでいた。


死んだら天国に行く、現実の世界より幸せになる。という意見はあまりなく、『無』になるんじゃないかという結論。


結局、生きてる人間が自分がこれ以上辛い目に合いたくないために、都合よく、あちらの世界で幸せになってるなどと思い込んでるだけ。

だから、死後の世界はない。


人は死んだら『無』になり、こっちのことなんか思い出さないんだとか。


冷たく悲しい事だけど、私もそう思う。


でも、それでもあちらで幸せに暮らしてると思う人はそれでもいいのではないかという意見もあった。


確かに、そう思うことによって、今の悲しみが少しでもなくなるならいいと思う。


でも、でも、やっぱり私は人は生きていなければダメだと思う。


死んだ人とまた会えるなんて、それは生きてる人間の傲慢。


生きてるから話せる。触れられる。


死んだ人とはもう会えない。


だから、悲しく辛いんだと思う。


人はいつか死ぬ。


順番が違ったので悲しみは深い。


たぶん、私に共感する人はいないだろう。


私には生きる意味がわからない。