雲みたいなキミ

2015年2月13日、22歳の息子が亡くなりました。

2015年2月13日、22歳の息子を亡くしました。
死因はOD、孤独死でした。
見つかったのが誕生日の次の日の22日。
2月21日に23歳になる予定でした。
誕生日には亡くなっていて、親として最悪な最期を迎えさせてしまい、毎日自分を責める日々です。

皆様へ

こんな私のブログを少しでも読んで頂いた方にお礼を申し上げます。


本当にありがとうございました。


息子の死は私の人生の中でとても辛く悲しく苦しいものです。


そして、息子の死を無駄にしないようにしたいと思っています。


一つだけ…息子に感謝したい事があります。


死ぬことが怖くなくなりました。


それは、自分が死んだら息子に会えると信じているからです。


これから生きてく上で、信じられるものの一つなのかもしれません。

死の意味。

不快に思う方はスルーしてください。
















1番、辛く、苦しいのは誰ですか?


1番辛いのは亡くなった本人なのではないでしょうか?


残された遺族が悲しいのは当然だけど、果たしてそうなのでしょうか?


もしかしたら、亡くなった息子はまだ生きていたかったのかもしれない。


私にはわかりません。


私も息子が亡くなった時は自分も息子の後を追うんだ!といろいろやらかしましたが、今はあちらの世界からお迎えがくるまで、この辛さ、悲しみを背負って生きていくつもりです。


大切な人を亡くされた方、その大切な人の死には何か意味があるはずです。


その人の死を『意味』あるものに出来たら、残された遺族はほんの少し救われるのではないでしょうか?


私はブログを始めた時、息子のいない人生の意味をいつも考えていました。


それはたくさんあると思います。


今出来ることは、息子がいない辛さ、悲しさを背負っていくこと。

そして、それに耐えること。


私はこれ以上幸せや楽しみは望みません。


代わりに、息子の死の意味を考え、耐えて、辛く悲しい人生を送ることでしょう。


自分が死ぬ時、息子の死の意味がわかるかもしれません。


死ぬ前に『死の意味』がわかるかもしれません。


『その人の死に意味をつけてあげよう』

『生きることの意味、死ぬことの答え』


どちらもドラマに出てきたセリフです。


息子が亡くなって3年経ちますが、私の気持ちの中はいつもどしゃ降りです。


傘をさしてもずぶ濡れです。


出来ることといえば、息子の死を無駄にしないように生きていく。


思うままに書いてしまいましたが、少しでも理解してくれる方がいれば幸いです。


遺族の方々のブログ、こそこそっと読み逃げしています。


コメントをくれる方々にもいつも感謝しています。


以上。

同じような事書きますが…

やはり、人って死んだらおしまいですよね。


もちろん私は親だから息子の事はいつも考えてる。


でも、周りはどんどん変化していく。


それはどうやったって止められない。


突然、フィギュアの羽生くんの事。


彼は22歳。


息子が亡くなったのも22歳。


何故、こんなにも人生違うのか。


個人的に羽生くんは好青年で好き。


羽生くんにも辛く苦しい時期はあるし、今もそうかもしれない。


頑張ってるからあんなに輝けるのか?


息子は頑張りが足りなかったのか。


私は息子が亡くなってから自分も死ぬ事だけを考えてきた。


でも、ふと考えると私の死など意味がない。


息子の死に意味をつけてあげたい。


昔のドラマでそんなセリフがあったなぁ。


あの頃は、ボーッと観てただけだけど、今はそのセリフに共感出来る。


息子の死に意味があるとしたら何だろう。


これからの私の人生の課題なのかもしれない。