雲みたいなキミ

2015年2月13日、22歳の息子が亡くなりました。

2015年2月13日、22歳の息子を亡くしました。
死因はOD、孤独死でした。
見つかったのが誕生日の次の日の22日。
2月21日に23歳になる予定でした。
誕生日には亡くなっていて、親として最悪な最期を迎えさせてしまい、毎日自分を責める日々です。

私は生きていてはいけない人間です。

私は本当にサイテーな母親です。


前夫、姑、小姑、親戚付き合い、前夫の友達家族との付き合い、コンビニという自営業、今まで我慢してものが一気にあふれ、離婚しました。


周囲に、子供達はどうするの!考え直しなさい!

散々言われましたが、一番に自分の考えを押し通しました。


前夫に調停にかけられ、それは泥沼でした。


次男は素直に私についてきました。


長男は最初は私についてくると言いましたが、私がいろいろな事情で子供達を振り回してしまいました。


結果、長男は前夫のところにいることを選びました。


私は、それ以降、長男を連れて出ることを諦めました。


次男だけを可愛がり、長男に冷たくあたることもありました。


家を出るときも長男には何も言いませんでした。


たまに置いてきたワンコと会いたいから近くまで連れてきてと頼んだりしました。


その後、姑がうるさいのでもう会えないと言われました。


でも、歩いて5分くらいの場所にアパートに住み始めたので、私は長男にはいつでも会えると思っていたのです。


甘かった。


長男は私に近寄らなくなりました。


しばらく次男との生活をしていたら、父親が再婚してうまくいかないから、私のアパートに来てくれることが多くなりました。


私は物凄く嬉しかったです。


でも、どうしてその時、長男に一緒に住もうと言わなかったのか…


正直、自分はうつ病になり、仕事もきつく、生活が苦しかったからです。


なんて自分勝手な母親でしょう。


神奈川から愛知に行く時も次男にも見放されました。


私は常に自分優先だったのです。


きっと、子供たちも私の事を嫌いだったんです。


親になってはいけなかったのです。


私がもっとしっかりしていれば、長男は死なずにすんだんです。


愛知に来て、再婚して、優しいダンナさんがいて、私だけが幸せで。


そのせいで息子が死んでしまった。


もう、生きていけない。


早く息子の所にいかなくちゃ。


行って謝らなくちゃ。


その前に会ってもくれないかも。


でもいかなくちゃ。